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園芸と人生

2017/10/10
おもちゃかぼちゃ20171008

緑の手をもつ人である母の園芸人生も齢80にして曲がり角をむかえた。

「こういうもんがあるから、」

腰をいためたのだ、と父はぶつくさ、母が半世紀近くを費やして収集してきた草花を、
ごみの日のたびに、ちょっとずつ捨てているという。

「ふうん」

娘である私の相槌は、父にも母にも、たいして同調していない。

実家の庭は、松があって、池があって(鯉が泳いでいた!)灯篭だの鹿おどしがあり、
白蛇がとぐろを巻いていた、昔は。
白蛇以外は全部父の趣味だ。
苔むす日本庭園。
母は、その庭の手入れもきちんとしているが、
それ以外の駐車場の一角のコンクリートスペースで100以上の山野草を育てている。
きれい好きで見栄っ張りの父にしたら、母のこまごました植木鉢は、多少目ざわりだったかもしれない。
そういう父の気持ちは、わからないでもない。
生涯をかけて、堂々たる家を建てたのが自慢なのに、その隅っこはごちゃごちゃ。
ええい、という気分。

しかし母にしたら、短気で傲慢な父といて、娘はたいしてまともに育たず、
草花だけが慰めの人生だったといってよい。
まともでない娘の私としては、その母の人生を少しは理解しなくてはならない。
父は池まである庭は自慢だったかもしれないが、
池の鯉など、不要な生き死ににかかわらねばならず、母は案外苦々しい想いでいたのかもしれない。

いつだったかだいぶ前に池をつぶし、庭は趣を変えた。

「山野草には、砂利を使うの?」
「あれはまぁ、飾りみたいなもんよ。普通の土でいいのよ」
「あ、そうなの」

この前園芸店で、一つ二つ山野草の苗を買った。
なので山野草通の母にきく。

「山野草はむづかしいわ」
緑の手の母が言う。
「捨てられても、また気にいったもの、買えばいいのよ」
すっきりした声だ。
「そうね」

私だって、育てられない、といろんな鉢を処分した。
母の園芸人生は終わるわけじゃない。
腰だって、そのうちもっとよくなる。
細々と生きてきたのだもの、母は長生きしてよい、と娘は思う。
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季節にときめく

2017/10/05
ブルーデージー20171005

自転車をおいてある場所の前に、鉢植えをおいてみた。
ブルーデージーと赤のカリブラコアの寄せ植え。
どちらの苗も200円で安かったのもあって、二つずつ購入。
ブルーデージーは一時期、葉に斑入りのものが流行り、育てたことがあるが、
さっぱり成長せずじまいだった。
そういう植物はいくつか記憶にある。

ニチニチソウ、ハツユキカズラ、あと丈の高いマメ科のなんとかいうの(名前失念(;^_^A)。

まぁ仕方ない。

さて秋がきた。
この秋は、いつになく気分がよい。
正直なところ、ここ3年ほど、ずっと暗雲がたちこめたような気分でいたが、
やっとその雲が流れてゆくような感覚がある。

季節にときめき、薔薇の図鑑をひらいては、ああまた新しい薔薇を育てたい、と思う。
今度育てるとしたら、過去の幾多の失敗を生かせそうだし、
以前よりずっと、薔薇の好みが具体的になってきて、ぼんやりした品種選びはしないつもりだ。
木の幹ががっしりしていて、まっすぐ直立する樹形、それでいて花は儚げ、
それこそが私の薔薇の理想だ。

図鑑だって、最新品種の載ったものがほしい。

鉢もなぁ、今あるものは、中途半端。
薔薇を育てるなら、40センチほどの高さのもので、素焼きではなく、プラ鉢がいい。
重い鉢をあつかうには、いささか年をとった。

*****

ただいま検討中の薔薇品種

ムンステッド・ウッド(黒系の赤薔薇)
クィーン・エリザベス(ピンク)
ラ・パリジェンヌ(オレンジとピンクのグラデーション)
アイスバーグ(白)
クィーン・オブ・スェーデン(ピンク)






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だれかのために何かをするとき

2017/10/02
だれそれの役にたちたい、と思うときがある。

そのとき、私は自分の胸に、まず、問う。

このことによって、自分は得をしないか?
そのことをまず、じぃっと長考、する。

そうした長い悩みのあとに、もう一つ、問う。

このことによって、自分は損をするか。
損という言い方が現実的すぎるとしたら、傷つくか、と言い換えてもよい。


キザかもしれないが、

自分が痛みを感じるときにだけ、だれかのために何かをするべきなのだというのが、
自分の生き方でありたいと、このごろは思う。
まして得をする、というのは、論外である。

それなら、だれかのために、ではなく、自分のためにと、ちゃんと心すべきだろう。
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和風の庭

2017/09/29
友人がうちに来て、家の前にある巨大化したギボウシの葉が生い茂るのを見て、まあ!と驚き、
そのあと、「この南天もいいわねぇ」と言う。
「それから、」あちらの奥にあるのは何かと尋ねるので、沈丁花だとこたえる。
何年か前に300円ほどで買った苗木がずいぶんと大きくなった。

ギボウシ、南天、沈丁花。

そうなのだ。

うすうす気づいてはいたのだが、と思う。

「うちでは、日陰で育ちやすい植物しか、だめみたい」

趣味の一つとして、十年以上薔薇を育ててきて、
あまりうれしくない現実をこのごろやっとわかってきた。
苦笑いするしかない。

「でも、ほんとうに綺麗ねぇ」

そういう友人は、部屋にはいくつかのウンベラーダの鉢と、人より大きなパキラを置き、
花よりグリーンを愛している。
白の胡蝶蘭のような人だが、花は育てない。

「南天もギボウシも沈丁花も、ほっといても育つんだよ」

ほんとうだ。
沈丁花は雨に打たすだけだし、南天も週に何度かしか水やりをしない。
ギボウシにいたっては、冬はいっさい水をやらない。
地上部は枯れ、それでも春になると、元気な姿になる不思議生物だ。

たとえば、
風知草や都わすれ、ホタルブクロに秋海棠、それに水仙、
そういうものを育てたほうが、よほど環境に合うのだろう。

薔薇は、育てたければ、和風の風情にあう、一重の白や、
木立性の黄薔薇あたりを選べばいいのかもしれない。

和風の庭。
自分とは、相容れないもののような気がする。


だって薔薇がなきゃ、とやはり思う。
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綱引き

2017/09/26
大人になってしまった今となってはなかなか参加できないが、私は綱引きが大好き。
あれほど単純なのに、おもしろくて、チーム一丸となり、火のように燃えるスポーツがあるかと思う。
日ごろはおとなしくて目立たない、しかしちょっとがらの大きなコが、
一番後方に陣取り、しっかりと腰をおろし、「よっしゃぁ」とかける声のなんとたのもしい、
そして自分も、ここから一歩も前には出ない、と踏ん張る必死さ。
綱を引くときの力強い手ごたえ。

勝つときもいいが、負けるとき、ずるずると引きずられる情けなさも、
私はけっして嫌いじゃない。

勝っても負けても、おもしろい。

ああ、また綱引きしたいなぁ。

店長が、小学生の長男坊の運動会にゆき、町会対抗綱引きに出たというのが、
そして準優勝だったというのが、
うらやましくて仕方ない自分。
comment (0) @ まいにち
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